2010年4月14日水曜日

普天間問題:〔資料2〕普天間問題に対する米軍の見方(米星条旗新聞)


普天間問題についてよく訊かれる質問
太平洋版 20091127
原文:スミダ・チヨミ
デイビッド・アレン
翻訳:岡田直樹
改編:勝見貴弘




ますます複雑な様相を見せる在日米軍基地問題。これは歴史、社会的構造、そして政治的展望における現在進行中の変革と絡み合い、深い根をおろしています。1994年から長きに渡って沖縄問題を取り上げてきた星条旗新聞レポーターのデイビッド・アレンが、普天間問題をめぐる議論についてよく訊かれる質問に答えました。

(Q)普天間問題とは何なのか?単なる政治工作?それとも日米軍事同盟の深刻な危機?

(A)8月の民主党の圧勝に先立って、鳩山由紀夫首相の基本的な考えは、普天間基地の機能を国外、そうでなければせめて沖縄県外に移すというものでした。それ以来、彼はグアム協定の見直しを主張しており、日本においては、この問題は鳩山首相の指導力を示す試金石となるとみられています。彼が率いる中道左派政党は社会民主党(社民党)との連立与党の一部であり、社民党は頑固なまでに反軍事的で、米軍の日本駐留と自衛隊の存在の両方に反対しています。仮に、普天間移設計画の再交渉を通じて米海兵隊の航空機能を他の場所に移転させるという目論みに失敗したら、鳩山首相は翌年の選挙で深刻な反対運動に直面することでしょう。

(Q)そもそも、なぜ航空基地を移転させなければならないのか?

(A)航空基地は騒音が大きく危険であり、そして沖縄の人々が主張する「不平等な負担」の象徴だからです。

1995年に起きた、二人の海兵隊員と一人の海軍衛生兵による、地元の12歳の女子学生の拉致・強姦事件は、沖縄における大規模な反基地デモの火付け役となり、基地面積削減の声を再び高める結果となりました。それらの要求に従う形で、日米両国間で専門委員会が設置され、1996年には、基地所有地の20%を県と地主に返還する計画が策定されました。この計画の主要な要素は、宜野湾市の市街地中心部に位置する普天間基地を閉鎖し、もっと離れた場所に新しい基地を建設することでした。

2003年、当時の国防長官ドナルド・ラムズフェルドは、沖縄を訪問して普天間上空を飛行したときに、「ここで今までいかなる事故も起きなかったのはまさに驚異的だ」と述べました。その一年後、海兵隊のヘリコプターが、基地に隣接している大学のキャンパスに墜落し、普天間海兵隊飛行場(MCAS)の閉鎖を求める声がさらに大きくなりました。

(Q)沖縄の人々はなぜ米軍基地の島内での移転・再編成に対して怒りを露わにするのか?

(A)沖縄の人々はこの問題について、東京とワシントンを信用していません。沖縄では、米軍基地は日本と米国にとって最良の取引だが沖縄にとっては最悪だ、という言いまわしがあります。日本は防衛費を減らすことができ―それが世界で二番目に大きな経済を有するに至った理由の一つ―、より大きくて、かつより人口が集中している他の日本領土から遠く離れた沖縄に、米軍部隊のほぼ半分が置かれています。米国は、西太平洋で、潜在的な紛争地域の近くに基地を確保できます。そして日本がその費用の大半をもってくれるのです。そのことによって、沖縄は、島の5分の1を占有する基地を抱えているのです。

さらに、沖縄には強い独立志向が常にあります。沖縄の人々の大部分は、第二次世界大戦末に「銃剣とブルドーザー」によって米国が彼らの土地を接収し、それでたくさんの家庭の家と農場が犠牲になったのだ、と信じています。27年間にわたる米軍の占領中、「軍隊のない島」を求める運動が盛んだったのです。

1972年に沖縄県が日本に返還されたとき、沖縄の人々の多くは裏切られたと感じました。なぜなら多くの米軍基地が存続し、他の米軍が放棄した基地を自衛隊が保有することとなったからです。この問題について批判的な立場をとる人々は、日本における米軍専用基地の75%も沖縄が抱えている、という不平等な負担を負い続けていると主張しています。

基地賛成派が、観光に次いで、米軍基地は沖縄の二番目に大きな収入源であると主張する一方で、反対派は、基地は経済発展を妨げている、と主張します。

(Q)日本の新しい政府の本当の狙いは、日本からすべての米軍を追放することなのか?

(A)まったく違います。大部分の日本国民同様、鳩山政権は、万が一国が攻撃された場合の備えとして適切であるとして、現在の日米安保体制を支持しています。鳩山首相と閣僚は、安保条約が、日本の政策の中核の一つであることを、繰り返し明確に述べています。

(Q)沖縄の米軍再編成に批判的な人々から代替案は提唱されているのか?もしそうなら、なぜその代替案は米国にとって受け入れがたいのか?

(A)何年にもわたる交渉において、たくさんの代替地が提案されてきました。その中には、硫黄島、グアム、ハワイ、本土の自衛隊基地、嘉手納空軍基地、そして沖縄県の二つの離島が含まれていましたが、それらはすべて拒否されました。海兵隊の航空機能は沖縄に留まらなければならない、というのが米国の主張だからです。なぜなら、沖縄は佐世保の水陸両用艦隊と隣接し、沖縄での訓練が必要であり、また中国と北朝鮮にも近いからです。基地をより離れた島に移転する代償はあまりにも高く、嘉手納空軍基地には海兵隊と空軍の部隊両方を受け入れる余地はありません。キャンプ・シュワブが置かれている辺野古半島の2マイルほど沖の海上に海兵隊飛行場を建設するという計画は、小さなモーターボートとカヤックを使ってその地域の環境評価を中断させた反基地・環境グループの根強い反対運動により廃棄されました。

米国当局は、日本が費用をもつという点でコスト面においても、また西太平洋における戦略的地政学的位置という点からしても、いまだ沖縄が最適であると主張しています。

(Q)なぜ米国は2006年の合意を変更することに対して、これほどまでに抵抗するのか?

(A)米国当局は、2006年の「再編ロードマップ」(訳注:「再編実施のための日米のロードマップ」)に至る何年もの交渉は、両国にとって最善の協定へと結実したと主張しています。8,000人以上の海兵隊とその家族が撤退することで沖縄にいる部隊の人員が削減され、彼らをグアムで支えるための必要なインフラを建設する費用のほとんどを、日本政府が負担するからです。

(Q)在日米軍のうちどの位が沖縄に駐留し、日本政府はそのためにどの位の費用を払っているのか?

(A)現在、43,400人の軍関係の人員が沖縄にいます。これには、22,300人の現役軍人、2,100人の国防総省職員、そして19,000人の扶養家族が含まれています。この人数には、本国の基地から訓練のために一時的に沖縄に配備される海兵隊は含まれていません。

2009年度、日本政府は日本に米軍部隊が駐留するために、52億ドル(約5,200億円)以上の資金提供を行っています。そこには、設備保全と改善、米軍を下支えする日本人従業員の給料その他の必要経費が含まれています。そのうち、16億ドル(約1,600億円)が沖縄の米軍を支援するためのものです。

その他にも間接的な支援があります。その中には、軍隊のための税金や道路の通行税、港の使用料の免除や、車の減税優遇措置が含まれています。

(Q)8,000人以上の海兵隊員が沖縄からグアムに移転することが、沖縄の海軍飛行場の移転と、どのように関係するのか?

(A)飛行場をキャンプ・シュワブに移転させる計画を受け入れさせるための手段だとみなされています。沖縄の人々にとって協定をより受け入れやすいものとするため、公共事業に対する中央からの巨額の助成金の他に、キャンプ・キンザー、那覇軍港、キャンプ・レスターの残り、キャンプ・フォスターの一部を閉鎖することと、海兵隊司令部の大部分がグアムに移転することが約束されました。

保守派の自民党が政権を握っている間に、このプロジェクトは不可避であるようにみなされ、そして過去5年間辺野古港に野営している小さな抵抗グループを除いては、ほとんどの沖縄の人はこのプランを渋々しながらも受け入れていました。

(Q)なぜ普天間問題を、グアムの問題から切り離すことが出来ないのか?


(A)キャンプ・シュワブの基地拡張をしなければ、島に残るたくさんの海兵隊員を受け入れる場所がなくなります。アメリカ当局は当初から、普天間を移転することが合意への鍵であると言ってきました。

(Q)なぜ米国は、軍隊とそれに付随する経済発展が現地政府に歓迎されるのであれば、グアムにそのまま移転することができないのか?


(A)再編成計画において、グアムへの部隊転入に適応できるよう、日本政府は61億ドル(約6,100億円)を提供することを約束しました。そのうち28億ドル(約2,800億円)が現金で提供されることになると期待されています。残りは日本からの投資で、それは時間をかけて回収されることとなります。しかし万が一再編成計画が破たんした場合、軍事施設、住居、インフラといったすべての費用―106億ドル(約1兆円)にものぼると試算される―がアメリカの納税者の負担となるかもしれないのです。


【謝辞】このたびは、突然のお願いで、しかも無償であるにもかかわらず、快く、かつ迅速に即日対応して下さった 岡田さまのご厚意に感謝いたします。また、「適切な情報を広く国民に伝えていくために、僕が何かしらお手伝いできればと思って手をあげさせてもらいました」と、本作業の主旨をよくご理解いただいたうえでご協力頂いたことに深い敬意を表します。ありがとうございました!―参議院議員犬塚直史事務所・勝見

普天間問題:〔資料1〕米海兵隊・日本の自衛隊の国外自然災害対応実績


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画像:JanJan『パキスタン大地震:印パの和平プロセスの試金石』2005/10/24, IPS Japan

自然災害に対する緊急人道支援・援助活動(近々の例:ハイチ大地震)

今年1月中旬に発生し22万人もの死者を出したといわれるハイチでの大地震に際し、我が国が調査団を派遣したのは3日後本格支援に5日を要しており、その内容も調査隊4名、国際緊急援助隊24名、自衛隊の緊急医療援助隊本隊の派遣は7日後で、初回派遣規模は100名に留まりました。これでは、“Too Little Too Late” (遅すぎ、少なすぎる)という誹りを免れません。他方、米国が、地震発生後1日で文民の調査隊30名が派遣され、2日で5,000人規模の米海兵隊本隊の派遣を決めています。各国は調査終了を踏まえ救援隊本隊を2日以内に派遣したし、とくに米国は、空母や救助隊の先遣部隊、救助隊、海兵隊員、病院船等を同時に派遣しました。



この対応の質のギャップは、本来共有されるべき情報や行動について信頼のベースがないことに起因すると思われます。「自分の目で見ないことには信じられない」から、各国の先遣隊が先に入っているにも関わらず独自調査が必要なのです。つまり、各国から下ろされる情報を信用できない。妙な職人魂が邪魔して、連携が遅れる訳です。こうした各国各様の身勝手な対応で一番被害を被るのは誰か。救援の対象となる人たちです。ではこうした二次被害を防ぐ最善の方法は何か。情報と行動の連携・共有ではないでしょうか。

迅速な災害救援目的に限定された日米共同派遣に向けた条件構築を

2005年の時点で、この必要性に更に踏み込んで主張していた人たちが、米海軍・米海兵隊内にいました。防衛機関紙『Securitan(セキュタリアン)』への2005年の寄稿論文で、著者らはこう述べています。

このような被害の軽減に貢献できる常時または制度的な国際対応機能は存在しない。このため、日米のパートナーシップを継続的に強化し、人道支援と災害救援に対応できる日米共同の海上拠点展開能力が必要である。

図1:米海軍と海兵隊が参加した大きな救援活動(1990年代)

災害被災地作戦名
1990暴風チュニジア-
1990暴風アンティグアHurricane Hugo
1990暴風フィリピンTyphoon Mike
1990暴風グアムHurricane OFA
1990暴風フィリピンMud Pack
1990地震フィリピン-
1991暴風バングラディシュSea Angel
1991暴風アメリカンサモアBalm Restore
1991火山フィリピンFiery Vigil
1992火山イタリアHot Rock
1992干魃ミクロネシアWater Pitcher
1992干魃ソマリアProvide Relief
1992暴風グアムJTF Marianas
1992暴風バハマJTF Eleuthera
1993地震グアム-
1997暴風グアムTyphoon Paka
1999暴風ベネズエラFundamental Response
1999地震トルコAvid Response
2000暴風モザンビークSilent Promise

米海兵隊は上記も含め1990年代前半だけで49の人道支援・救援活動に参加しています。



(参考)「人道支援と救援活動への対応 海上拠点による日米共同覇権の将来構想」
『Secutarian(セキュタリアン)』2005年、4、5、6月号連続掲載、共著
・ウォレス・グレグソン米太平洋海兵隊司令官(現国防次官補)
・ジェームズ・ノース第III海兵遠征軍米海軍分析センター代表
・ロバート・エルドリッジ米太平洋海兵隊司令部客員研究員(在沖米海兵隊外交政策部G5次長)

日本の自然災害に対する緊急人道支援・援助活動実績

我が国の国際緊急援助隊(JDR)の実績は、1987年9月に「国際緊急援助隊の派遣に関する法律(JDR法)」が公布・施行されて以降、「広域大規模災害への対応と切れ目のない支援」を実践するべくオールジャパン体制での自衛隊派遣の対応が始まったのは、2004年のインドネシア・スマトラ沖大地震以降で、その後の実績は2件(含む未掲載のハイチ支援に留まります。

図2:自衛隊が参加した大きな救援活動(2004年以降)

災害被災地派遣チーム(数)
2006地震インドネシア医26・自264
2010地震ハイチ調3・医20・自200
※ハイチ支援に関する情報は、2010年発表の外務省資料(1)(2)《1月》、防衛省資料(1)(2)《2月》に基づく。

JDR法体制下にあっても、自衛隊の支援は早期展開能力と遠征能力に欠けているといえます。さらにいえば、日本の民生支援には人材が不足しており、意欲ある人材を支援し、育てる社会基盤の未整備がある。この両面の手当を行わない限り、日本外交の柱である「人間の安全保障」はかけ声だけで終わってしまうでしょう。しかも自衛隊は自衛隊、民生活動は民生活動として明確に分けて考えることは、本来難しいのです。民軍関係(Civil-Military Cooperation)をどのように捉え、好むと好まざるとにかかわらず、協力関係を持つことが不可欠な場合が増えています。逆に民軍関係を積極的に捉え、成功体験を積み重ねることが、我が国が提唱する「支え合う安全保障(Shared Security)」を先頭に立って実践する専守防衛の自衛隊を持つ日本の支援のありようなのではないでしょうか。


文責:参議院議員犬塚直史事務所・外交政策担当 勝見貴弘